大企業と中小企業(ベンチャー)の「年功序列感」の違い
社員1万人以上の大企業から100人以下の中小企業に転職して驚いたのは、年齢に関係なく役職がついていることです。
大企業で働いていたときは「自分より偉い人」が年下であることはほとんどありませんでした。
大企業で差が付き始めるのは40代からで、少なくとも30代のうちは「自分より圧倒的に役職が高い年下」が現れる確率は少ないのです。
一方でベンチャーや社員数100人未満の成長企業(中小企業)の場合、自分より年下で偉い人が次々と登場します。
自分より年下・中途で「取締役」として採用される人もいます。
こんな圧倒的敗北感を味わうことはなかなかないですよ。
否が応でも自分のキャリアの情けなさを感じてしまうわけです。
中小企業やベンチャーは良くも悪くも実力主義です。
実力のある人には心地よく、実力がない人にはとても辛い。
大企業の場合は実力がなくても年を取れば自動的に偉くなります。
役職がなくても偉そうになれます。
年収も上がっていきます。成果の評価は曖昧で、なんとなく頑張っているとちゃんと評価してもらえます。
小さな会社ではそうはいきません。
成果をしっかりと出せなければ評価されないし、降格もあり得ます。
大企業では周りにたくさんの”凡庸な人”がいるので、凡庸な自分を惨めに感じずにキャリアを積んでいけます。
年齢が上がれば自然と敬われるような「年功序列の雰囲気」が根強く残っています。
少なくとも私が勤めていた巨大SIerではそうでした。
転職先ではコロナ禍・リモートも後押しして、年齢は関係なく、成果や貢献で評価がくだされます。
役職には「役職に期待される役割」が明記されていて、期待される役割に応えているかがシビアに問われます。
ジョブ・ディスクリプション
「職務記述書」とも言われますが、若い企業には欧米の影響なのか、ジョブ・ディスクリプションが明記されていることが多いように感じます。
ウェブ系企業だと、「フロントエンジニアという職種のT1という職階には、◯◯の成果を期待する」といったように、職種と職階も明確ですし、その人に「どんな業務を期待するか」が明記されています。
それぞれのメンバーが専門性を発揮して、会社に必要なスキルを持つ人を中途で採用していくのです。
これは入社後、専門性を磨き、専門職としてスキルを磨いてきた人にとっては望ましい雇用形態でしょう。
というのも、自分が望まない謎の業務を振られる確率は下がりますし、「自分は何の専門家か」と名札を貼って歩けるので、望んだキャリアで経験を積んでいくことができます。
逆に「総合職」というフワッとした職務で採用された人にとっては、キャリアの途中でジョブ・ディスクリプションを明記させられるのは辛いものがあります。
「俺の専門性ってなんだっけ...」
とハタと立ち止まって考えなければならないからです。
立ち止まって考えて、気付きます。
「やべえ。専門性、身についてないじゃん」
評価を突きつけられずにキャリアを歩むなら大企業は良い環境
いま思うと、某大企業は気が楽でした。
残業は多く、業務時間は今よりも長かったのですが、求められる役割がやや曖昧で、評価を気にせずに業務に打ち込めたからです。
残業は多く仕事中の詰めは厳しいけど、現実に挫折することは少ない会社でした。
中小企業はシビアに実力が見られます。
貢献しないと居場所がありません。居場所がない人を優しく育てて守っていくような余裕もないからです。
小さな会社に転職するとは、野生で生きると決意することなのです。
大企業は何でも用意されていました。
標準化された開発手順に沿っていれば何も言われずに仕事をこなせました。
何かに迷ったら社内のノウハウを漁ればいいし、開発に必要なものは全て用意されていました。
付き合いのあるパートナー企業もいて、RFPを書いて委託先を探す、なんて作業も必要ありませんでした。
中小企業ではそのような確立した付き合いであったり、開発プロセスはありません。
自分で考えて、自分で手を動かして、自分で調べて、自分で周りを巻き込んでいかなければいけません。
まさに野生です。
野生の中でサバイバルです。
長時間勤務の辛さはないですが、サバイブするための緊張感はあります。
特に、転職して慣れるまでは緊張が続きます。
大企業から中小企業に転職するとは、自分の力で獲物を狩り、餌を獲り、チームに持ち帰り、肉を分け合う覚悟をすることです。
家に帰ったら肉が用意されていて、自動で肉を取る仕組みがあって、歳を取るとたくさん肉がもらえるようになる、大企業とは違います。
中小が正義!というわけでもなく、自動で食べられる肉が増えていく大企業のほうが精神的には楽だと思います。
どういう道を選ぶかは、自分の価値観次第なのです。
手に職つけて、市場価値を伸ばして戦っていくなら中小企業が良いでしょう。